澤崎 賢一『ことばとイメージと』
第1回「侵される真っ赤に、腫れ上がった、マサイの風呂場と、ファミレスの孤独と。」
真っ赤な布が鮮やかだ。くっきりと大地に縫いつけられた影が、マサイの男の存在を確かなものに感じさせる、と思うのだが、イメージを振り返るときにはいつも、それはまるで他人が見ている景色のように変質する。それでも、この写真でジェレミーさんが纏っている真っ赤な布だけが、強烈に、残ってしまっている。僕の身体にかろうじて留まっていた、大地を踏みしめたときに鳴いていた、岩と砂利石の擦れる音、その温度が、遅れて戻ってくる。初めてのアフリカは、ひたすら歩きながら汗を流し、思考がとろけてしまうような、だけれども神経だけは研ぎ澄まされるような。あるいは、見渡す限りの地平線が気持ちを大きくさせるような。左下に見えている銀のボールは風呂桶だ。杖を手にしているが、ジェレミーさんの足腰は矍鑠としている。右手で咥えているのは爪楊枝。左後ろの岩場では、地熱で噴き上がる蒸気を冷やして生活水として利用している、ここはマサイの浴場、だ。炎天下のなかサバンナを三十分ほど歩き火山の噴火口で入浴する、と言葉の意味が繋がらない、んだけれども、まさにその繋がらなさの手前で、僕は何度も、立ち、止まる。なんとなく暗黙に身に染み付いてきた自分の暮らしの作法が当てはまらない場面に出くわすこと、はある意味とても幸福な出会いなんだろう。できるだけ手元を足元を、そして思考の慣習を、解きほぐすためにブラブラと。見つめるまなざしをグラグラと。深夜、ラップトップを広げ、ファミレスで眺めるマサイの風呂場には、真っ赤な色合いと、ガラス越しに反射する街灯の光が溶け合って、常識の塊のようなサラリーマンや、都会の宵闇に欲情する若者たちの輪郭が、斜めに歪んで見えてくる、なと。僕もまた、群衆のただなかで、孤独に酔いしれ過ぎているよう、だ。