イントロダクション

この惑星は、庭とみなすことができる― パリで行われた展覧会「惑星という庭」で30万人を魅了したフランスの庭師ジル・クレマン。彼は、パリのアンドレ・シトロエン公園の庭やケ・ブランリー美術館の庭をつくったことで知られ、同時に、その背景にある思想が注目を浴びてきた。

クレマンは、総合地球環境学研究所が主催した連続講演会のために、2015年の冬に初めて日本を訪れた。計3回開催された講演会は、それぞれ彼の中心的な概念である「動いている庭」「惑星という庭」「第三風景」をめぐるものである。

たとえば、「動いている庭」。そこでは、草や木が自然の遷移の作用として移動し、その移動のダイナミズムの中で庭が構成されていく。それは自然なのか、文化なのか? 自然に寄り添い、かたちづくられ、変化し続ける庭は、従来の自然と文化を截然と切り離す二分法に基づく思考の再構成を促すものである。

日本各地を視察するクレマンの中心となる案内人は、彼の著作『動いている庭』を翻訳した庭師の山内朋樹と日本庭園を研究するエマニュエル・マレスである。このふたりと共に、クレマンは日本の庭を訪れ、日本の庭師と交流を深める。果たして、彼は日本の自然や文化に何を見出すことになるだろうか。

「動いている庭」、クレマンの自宅の庭には、その原型がある。クルーズ川に面した広大な庭の中を歩きながら、彼は「谷の庭」や「野原」と名付けられた場所を案内する。多様性に富んだ庭もさることながら、自ら建てた家に太陽光発電を設置し無駄に電気を使用しないことや、自宅の畑で採れた野菜で食事をすることなど、彼の生き方から私たちが学ぶことは多いだろう。すべては、この場所から始まったのである。

できるだけあわせて、なるべく逆らわない― これは、クレマンの庭師としての基本的な態度である。この言葉にそってつくられた本作は、日本各地を訪問するクレマンと、彼の自宅の庭をロングショットで記録した民族誌的な映像である。クレマンの行為を長回しで撮影する中で、撮影者がカメラになり、そしてそれを通して撮影者は被写体と呼吸リズムを同調させる、呼応するようにクレマンも何か新しい輝きを持った存在になるだろう。

ジル・クレマンより

日本での短い滞在期間については、強烈な記憶をとどめています。それは揺り動かし、うっとりとさせるものでした。世界中で出会ったさまざまな庭仕事をここで互いに比較しようとしなかったのは、すべてが新しく、奇妙で、完璧に成熟したものに見えたからです。つまり私は、未知の世界に浸りきっていたのです。

書物や映像から見知ったことを、私は慌てて忘れようとしました。それらは世界に流布した、日本について講じるものでしたが、むしろ私は、その瞬間瞬間を生きようとしたのです。そうして、この未知なる世界を愛し、そこに私自身を見いだしたのです。庭師としての私ではなく——日本庭園での実務は体験しませんでしたので——、自然に直面した人間としての私を。

仏教寺院の庭に神道の祭壇がある。それは私の着想を確信に変えました。人間社会における父祖伝来のアニミズムは、理性の襲来に押しつぶされてしまうことはないだろうということです。このことに私は安堵しました。

遠近の分割にそって計画された風景——里山、奥山——は、人間の領分と精霊の領分とをつくりだしており、後者はマダガスカルの「ファディ*1」の空間、あるいはバリの「レヤック*2」の空間を想起させます。精霊や囚われていない生き物たちに満たされた自然だけが表現しうる領域。ここには狸や猪が、そして奈良に訪ねたとき青信号で道路を渡っていた鹿たちが住まうのです。

 

冬の終わりには真っ白だった日本の庭の芝生も、ヨーロッパの庭の芝生が太陽に晒され、色褪せてくる頃には緑になるでしょう。このことも、イギリスの青々とした下草だけが庭に許される唯一のモデルではないと、私を励ましてくれました。

そのあいだ賢一は、カメラをまわし続けていました。さりげなく、にこやかに、どんな振る舞いをも尊重しながら、日本の行く先々で私が驚いて目をとめたもの、フランスの「谷の庭」で私の両手が扱ったもの、そのすべてをとらえようとするかのようでした。

そんな彼の存在は温かな思い出となっています。彼は映像を撮って、サイバースペースの気まぐれに委ねるためにやってきたのではありません。そうではなく、彼は伝えるためにそこにいたのです。地に足のついた、詩的な物語の芸術を。

(邦訳 山内朋樹)

2016年5月20日
ジル・クレマン

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1 マダガスカルのタブー。
2 バリ島に伝わる悪霊、魔女。

監督より

パリのオステルリッツ駅から南に3時間ほど電車に揺られ、サン・セバスチャン駅にひとり降り立ったのは正午前だった。ほとんど人影の見られない小さな田舎駅だった。灰色の雲がどんよりと低く垂れ込め、ぱらぱらと小雨の降る肌寒いなか、最小限の撮影機材を詰め込んだカメラバッグを背負って、僕は少々不安げに周囲をキョロキョロしていたに違いない、と振り返ってみて思う。幸いすぐにボロボロの自動車の傍らに立つクレマンさんの笑顔を遠くに見つけることができた。講演会のために初めて来日した彼と日本で会ったときから約半年が過ぎていた。

クレマンさんの運転は、予想に反して、というかあまり彼が運転をする場面を想像していなかったのだが、少々荒っぽく、迷いなくまっすぐに彼の自宅に向かっていた。車中では、最近の彼の関心について話をしてくれた。なくしていたブーツが最近、庭で見つかったらしく、そのブーツに植物が覆い茂っているのを彼がいたく気に入って、それを玄関に飾っているという話だった。それは人と植物のデザインの融合とでも言える代物だろうか。

右に左に、と蛇行しつつ過ぎ去る景色を眺めているうちに、車がいまどこを走っているのかがわからなくなってしまった。しばらくすると、いつの間にやら森に囲まれた小道に迷い込んでいて、車が通るには少々荒い地面に揺られながら、ようやくクレマンさんの暮らす自宅に辿り着いた。目の前には「動いている庭」が広がっていた。ひときわ背の高い桂の木が「谷の庭」にそびえ立っている姿や、庭には不釣り合いに巨大な葉を茂らせる南米の植物などが最初に視界に入ってきて、彼が日本の講演で紹介していた幹が倒れたまま成長を続けるリンゴの木や「動いている庭」の始まりの象徴であるハナウドはどこにあるだろう、などと庭を眺めた。

つる植物が壁面を覆う石造りの家はかわいらしく、庭と溶け合うようであり、同時に存在感たっぷり大地に座していた。1階にはキッチンと食卓、古い暖炉のあるリビングがあって、薪が玄関横の壁一面に積み上げられていた。2階に上がると、彼の仕事場であるデスクとソファのある部屋に通され、今夜はここに泊まって構わないと案内してくれる。自前の電気をムダにしないように、普段はインターネットのルーター電源は切っているらしい。もしネットを利用したければ、スイッチを入れて利用してくれ、と説明される。僕はともかく、すぐに撮影ができるようにカメラのセッティングを開始した。大きなガラス戸の向こう側には、雨粒の混じった風が優しく吹きつけていた。

劇作家のナデージュさんが自作の取材のためにクレマンさんに会いに来ることを、到着後ほどなくしてクレマンさんから告げられた。図らずも、彼女は映画の中に少し登場することになった。彼の庭には、年間を通じて多くの訪問者があるのだ。ナデージュさんの到着を待つあいだ、彼は自ら昼食を用意してくれた。オムレツのような郷土料理で、食材のほとんどは彼の庭の片隅にある畑で採れたものだと言う。僕はこのときからすでにカメラを回していたが、彼は寛容にも、僕が撮りたいものを好きなだけ撮るとよいと言った。僕は不躾にも寝室や風呂場やトイレにまでカメラを持ち込んで撮影を続けた。すると唐突に彼は、庭を案内するからついて来るか? と僕に声をかけた。雨がちらつく空を睨みつつ、機材の防水対策も不十分なまま、そそくさと彼の後を追った。

このとき、映画をどのように構成するかは僕の頭の中になかったが、できるだけロング・ショットで僕がクレマンさんと過ごす時間をカメラにおさめることに努めた。そして、彼が丁寧に庭を説明する様子を1時間半ほどかけて撮影した。日本での少し遠慮がちにも映った彼とは違い、庭を矍鑠と歩いて回る後ろ姿は、とても雄弁で確信に満ちていた。おそらく、もう何度も色んな訪問者に対して庭について説明してきたであろうにもかかわらず、彼がとても楽しそうに話をしていたのが印象的だった。このとき、僕は録画ボタンをたぶん2度ほどしか押していないので、庭を回るあいだずっと撮影を続けていたことになる。映画で見ることのできる映像の中心は、このときのものだ。

僕がクレマンさんの庭を訪れたのは8月中旬頃だったが、雨の降る夜はとても寒く、彼は暖炉に火をくべ始めていた。パチパチとはぜる薪の音が心地よかった。夜、僕はあえてカメラを回すことをやめた。現場にひとりで入ることのメリットのひとつは、被写体との距離感がとても親密なものになることだと思うが、同時に会話をすることの難しさも生じる。ゆえに、いつカメラを回し、いつカメラを止めるかの判断は、慎重に行わなければならない。僕はカメラを置いて、彼とじっくりと話をしたかった。

クレマンさんは、一体どんな映像を作りたいのか、と僕に尋ねた。僕は、映像には独自の時間が流れているんじゃないだろうかと感じている。僕たちが日々暮らす生活の中に流れる時間とは異なる時間。すぐれた映像作品は、映像の中で流れる時間に自らが生きているかのように感じさせる。それは決して物語に身をまかせる行為ではなく、自らの意思で選択し、感じ、呼吸をする時間の流れなのだ。僕は映像によって、そんな生きている時間の流れを生み出したい。

それから、クレマンさんが日本を訪れたときの話、彼の生まれ育った街の話、戦争やエネルギー問題についても話をした。70歳を超える彼は、今後は仕事の量を減らして、より重要だと思われることを積極的に引き受けたい、といった話をしていた。にもかかわらず、こうやって僕のために時間を費やしてくれていることが嬉しかった。そうやって夜もふけ寝床につこうかという頃、ふと気づいたときの夜の深さに僕はとても驚いた。いつの間にか雨は止んでいた。

翌朝、クレマンさんは、午前中にはジュネーブに向かわなければならず、僕も彼と一緒にパリまで戻る予定になっていた。日が昇るとともに庭の各所を撮影していた僕の背中に彼の声が響く。時間がもっと欲しかった。もっと撮影したかった。「動いている庭」。いつも多様な表情で人々を迎え入れるであろうこの庭への再訪を僕は心に誓い、彼にまた来たいとお願いして庭に別れを告げた。動植物や昆虫などとの共生を大切にする彼の庭は、思想的にも多くの示唆に富んでいる。しかし彼の庭を訪れて感じたことは、なんというか、もっと直接的で、心に突き刺さるものだった。僕は願わくば、彼がどのような日常生活を送り、どのように彼の庭が表情を変化させていくのかを、今後も記録したいと思っている。そしてまた別の機会に、みなさんに映像を紹介し、みなさんと共に映像の時間を呼吸したい。

澤崎 賢一
アーティスト/映像作家

キャスト

ジル・クレマン

1943年生まれ。庭師、修景家、小説家など、数多くの肩書きをもつ。植物にとどまらず生物についての造詣も深く、カメルーン北部で蛾の新種(Bunaeopsis clementi)を発見している。庭に植物の動きをとり入れ、その変化と多様性を重視する手法はきわめて特異なもの。代表的な庭、公園に、アンドレ・シトロエン公園(パリ、1986-98年)、アンリ・マティス公園(リール、1990-95年)、レイヨルの園(レイヨル=カナデル=シュル=メール、1989-1994年)、ケ・ブランリ美術館の庭(パリ、2005年)などがある。おもな著作として、庭園論に『動いている庭』(1991年)、『惑星という庭』(1999年)、『第三風景宣言』(2004年)。小説に『トマと旅人』(1997年)ほか。

山内 朋樹(やまうち・ともき)

1978年生まれ。京都教育大学 准教授(美術科)。現代ヨーロッパの庭や修景をかたちづくる思想と実践を考察しつつ、その源泉を近現代の庭園史に探っている。また、在学中に庭師をはじめ、研究の傍ら独立。おもな仕事に「鹿と子の庭」(大津市、2013-14年)、「八草の庭」(京都市、2012-2016年)。庭に焦点をあてた芸術活動に「地衣類の庭」(第8回恵比寿映像祭、2016年)など。翻訳にジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房、2015年)。

エマニュエル・マレス

1978年生まれ。工学博士、京都産業大学 准教授。専門は日本建築史・日本庭園史。2015年2月に開催された「ジル・クレマン連続講演会」を企画するなど、日本庭園の研究を通して日仏の文化の交流に尽力している。主な著書に『縁側から庭へ』(あいり出版)、編集に和英のシリーズ『京の庭の巨匠たち』(京都通信)など。

監督について

澤崎 賢一(さわざき・けんいち)

1978年生まれ。アーティスト/映像作家。一般社団法人リビング・モンタージュ代表理事。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程修了。博士(美術)。ヨーロッパ・アジア・アフリカで、研究者や専⾨家たちのフィールド調査に同⾏し、映像/写真メディアの使い方を工夫しながら、他者との関係から新しい発見を生み出すための方法を探求している。また、映像メディアを活かした学際的活用の基盤となるプラットフォーム「暮らしのモンタージュ」を企画・運営する。
近作に、可変的な映像作品『#まなざしのかたち』(124分、2021年)、ふくだぺろ・澤崎賢一・べ・サンスンによる展覧会「語りあう/あわないイメージたち」(Tosei Kyoto Gallery, 2021年, KYOTOGRAPHIE KG+オフィシャルプログラム)、劇場公開映画『動いている庭』(85分、2016年)などがある。

出演:ジル・クレマン、エマニュエル・マレス、山内 朋樹 ほか
監督・撮影・編集・製作:澤崎 賢一
企画/製作/日仏字幕:エマニュエル・マレス|カラリスト:苅谷 昌江|撮影協力:矢野原 佑史|音響調整:倉貫 雅矢
アドバイザー:山内 朋樹|フライヤー/カタログ デザイン:和出 伸一
企画協力:総合地球環境学研究所みすず書房
配給:ボタニカルスタジオ・一般社団法人リビング・モンタージュ

【謝辞】
岩村 伸一、小川 純子、篠原 徹、シルヴィ・ブロッソ、武島 幸代、田瀬 理夫、寺田 匡宏、
ナデージュ・セリエ、古川町子、古川三盛、村松 伸、吉岡 正樹
アンスティチュ・フランセ関西−京都、日仏会館フランス事務所、南禅寺 金地院、名勝 無鄰菴

※1 ジル・クレマン『動いている庭』山内朋樹訳(みすず書房、2015年)

日本・フランス|HD|85分|2016年|日本語・フランス語字幕

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