「知の余白」と「感性のモンタージュ」

 研究者のフィールドワークの現場では、多様な暮らしの中に「未来社会の形成に向けた潜在性」を発見することができます。もう少し分かりやすい言葉であらわすならば、この「潜在性」とは、暮らしの中に垣間見られる知恵や工夫や驚きのようなものです。つまり、これからの社会をかたち作っていくためには、そういった何でもない暮らしの中での知恵や工夫や驚きがとても大切になるのではないか、ということです。

 研究者とは、とても高度で専門的な知識や技術を持った人々のことをあらわしていますが、そういった研究者にとっても、暮らしの中の潜在性には多くの学びの場があり、彼らの研究を研鑽させてもいます。しかしながら研究者の研究成果は、基本的に論文や学会などの専門性の高い文脈で発表されることがほとんどで、なかなか一般には身近に触れる場面が少ないというのが現状でしょう。

 私たちが「暮らしのモンタージュ」において重要だと考えるのは、アカデミックな文脈では研究成果の「余白」として周縁に位置づけられてきた暮らしの中の潜在性を生きた資源や発見として捉え直し、その価値を見出そうとすることです。そのために、このプラットフォームを通じて、研究者とアーティストの異なる文化・専門性の相互触媒的な再編を誘いながら、暮らしの中で見出すことのできる「知の余白」を共有する「場」を創出するために、さまざまな取組みを実践していきたいと考えています。

 これまでのところ、総合地球環境学研究所(以下、地球研)に所属する研究者のフィールドを中心に、ケニア、ブルキナファソ、タンザニア、ベトナム、インドネシア、東ティモール、日本各地などで撮影を行ってきました。このプロジェクトでは、世界各国で撮影している映像を活かし、今のところ、大きく4つの枠組みで活動を行っています。

1.映像メディアと鑑賞体験の新たなモデル
2.自由に活用できる「道具箱」としての教材
3.ネット上のプラットフォーム
4.社会実践への展開

1.映像メディアと鑑賞体験の新たなモデル

 フィールド調査を記録した映像を活用し、文化の記録と芸術的表現の両立を探りながら、研究者や対象地の人びとの感性や想いを、多様な暮らしのあり方や風土と共に表現していきます。成果物は、ギャラリー、映画館、美術館などで広く公開していきます。
  さらに、既存の形式のみでまとめるのではなく、「知の余白」を生きたものにするための「ドキュメンテーション(記録行為)」に着目した、映像メディアと鑑賞体験の新たなモデルとしても提示していきたいと考えています。

2.自由に活用できる「道具箱」としての教材

 専門領域の知を多感覚的に伝える「映像を活かした装置」として研究成果をまとめ、教育の現場において人々が自由に活用できる「道具箱」として、アーティストと研究者が共同で教材を開発します。これにより、人と自然の関わりを共に学ぶための教育活動に関する、専門分野を乗り越えた、市民科学(Citizen Science)に繋がる新たな研究構築を目指します。
  また、研究過程を共有できるという映像メディアの特性を活かし、関係者間での映像によるフィードバックを随時行っていきます。

3.ネット上のプラットフォーム

 プロジェクトの成果を広く共有するために、フィールド調査にまつわる記事の掲載や支援活動に関わる物品販売、また関係するアーティストや映像作家によるウェブ上の作品などを掲載していきます。
 さらに、ネット上の「場」を介して人々が間接的に出会い、さまざまなアイデアを実現するためのプラットフォームとして活用していきます。

4.社会実践への展開

 このプロジェクトでは、映像で記録していく個々の現場における諸課題の一助となるような活動も行っていきます。貧困などの問題を抱えるアジア・アフリカ各地の人々と関係を築くなかで重要な事項として、彼らの生業への支援活動があります。
 例えば、タンザニア山間地脆弱環境での香辛料作物ベースの生業の創成を支援するための映像素材を活かした販路形成やブランド形成などがあります。

風人土学舎

 一般社団法人リビング・モンタージュの理事でもある田中樹が代表を務める「風人土学舎」と「暮らしのモンタージュ」は、相互に連携して活動を行っていきます。「風人土学舎」は、人びとのつながりや自然・生業・文化との関りを知り、それらが共生する未来を目指す、研究者と実務者の集いの場です。

プロジェクト「暮らしのモンタージュ」の全体図

きっかけ

 このプロジェクトが始まるそもそものきっかけは、フランスの庭師ジル・クレマンさんの活動を記録した映画《動いている庭》※1を制作したことです。できるだけあわせて、なるべく逆らわない― これはクレマンさんの庭師としての態度ですが、その言葉を体現するかのように、私は彼に寄り添いながら、語り、歩き、食べ、笑い、それから観察したり庭作業をするクレマンさんを映像で記録しました。

たった一度の旅でも、そこで見た風景の均衡をとらえてしまうこと。
風景に隠されたさまざまな扉から庭にいたること。
その扉は、風景の見方が引き裂かれてしまうことをも恐れない人々のためにだけ開かれている。
調理台の上に散らばるパン屑のように、真実の数々をばらまいておくこと。
けれども、どんな真実もばらばらのままにせず、まるごと理解すること。
ひとつの仮説にしたがって、不意にそれらを組み合わせてみること。
とどまろうとする傾向に逆らうこと。
創出は生じるままにしておくこと。
ある創出に、また別の創出が続いていくから。
進化とともにあれ。
ジル・クレマン『動いている庭』より

 これは、クレマンさんが著作『動いている庭』※2の最後に綴ったテキストです。この言葉の中の「庭」を「映像」に置き換えると、そのまま本プロジェクト「暮らしのモンタージュ」のための箴言のように聞こえてきます。
  私たちは世界各国を旅して、いろんな風景を目の前にします。その場所で暮らす者ではない自分たちにとって、その風景との出会いは一度きりかもしれず、私たちはその一度きりの瞬間を逃すまいと風景にカメラを向けます。
  そして、調理台の上に散らばるパン屑のような映像素材を、仮説にしたがって不意に組み合わせる。「暮らしのモンタージュ」が、いつかクレマンさんの庭のように彩り豊かな場所となることを目指しています。

澤崎 賢一(アーティスト/映像作家)
一般社団法人リビング・モンタージュ 理事


※1 映画《動いている庭》日本・フランス|HD|85分|2016年
※2 ジル・クレマン『動いている庭』(山内朋樹訳、みすず書房、2015年)