清水貴夫・池邉智基・星野未来「セネガルを喰う!-西アフリカ・グルメ調査団が行く!」
第3回「セネガル料理の枠組み:ベンヌ・チンとニャーリ・チン」
池邉 智基
セネガル料理と言えば、チェブジェン、マフェ、ヤッサ、スープ・カンジャ…と、セネガルに来たばかりの頃に友人や調査助手たちにいろんな料理があることを教えてもらい、いろんなご家庭やレストラン、屋台などでいくつも食べてきた。ここに挙げたセネガル料理は、大きく二つに分類できる。それは「ベンヌ・チン」(bennu cin、一つの鍋)と「ニャーリ・チン」(ñaari cin、二つの鍋)である。例えば「国民食」とも言われる、魚と野菜のスープで炊き込んだチェブジェンは「ベンヌ・チン」だが、前回紹介したスープ・カンジャは「ニャーリ・チン」である。
チェブジェン
この分類は非常に単純なものである。チェブジェンを作るときは、一つの鍋で魚を揚げ煮してから野菜の旨味がしっかりと出たスープを作り、そのまま米を炊き込む。一方、スープ・カンジャは白米[1]を炊く鍋と、ソースを作る鍋が二つ存在する。つまり、白米にソースをかけた「ぶっかけ飯」のような料理はニャーリ・チンで、炊き込みごはんはベンヌ・チンなのである。鍋の数で分類されるというのはなかなか興味深い。
ダカールのレストランで日替わりメニュー(Plat du jour)を尋ねれば、確実に一つ鍋料理チェブジェンがある。同時に、白米にソースをかけるニャーリ・チンのメニューも日替わりであるのだ。たとえばそれはスープ・カンジャであったり、チューであったり、ドモダであったり、マフェであったり…。きっと白米と、複数のソースを作っていればよいので対応しやすいのだろう。
セネガルで一般的に使われているアルミ製のチン
ニャーリ・チン=ぶっかけ飯のひとつ、マフェ
しかし不思議なことに、この鍋による分類は米料理にのみ使われるものであり、他の料理に使われることはない。むしろ米食が浸透する以前に広く食べられていたトウジンビエ(Pennisetum glaucum)のクスクス(チェレ、cere)をわざわざニャーリ・チンなどと呼ぶことはない。あるいはスパゲッティや小麦粉のクスクスに至ってもそうである。鍋で調理するのなら、白米を鍋で炊くことと、スパゲッティを鍋で茹でることの何が違うのだろうか。鍋で調理してソースをかけるという意味では、分類上はクスクスだってニャーリ・チンではないのかと思う。チェレを食べているときに「これはニャーリ・チンなの?」と友人たちに質問しても、「うーん、そうだね」とか「いや、ここで作っているのはソースだけだからベンヌ・チンじゃないか?」とか、どうもはっきりとしない。ここで早くも、セネガル料理の枠組みとして提示した鍋の数による分類が、セネガル料理全体に応用できないということになってしまった。
ぶっかけ飯ならぬぶっかけチェレ
これにはひとつの理由が考えられる。米は雑穀のクスクスなどに比べれば非常に調理が楽であるという点である。まず、米は植民地期から、多くの輸入米がセネガルに入り込み、特に都市部を中心に食べられるようになったという背景がある。1970年代からセネガルを調査した人類学者、小川了[2]によれば、米料理は都市の食べ物で、地方の農村部では基本的に雑穀のクスクスを食べていたのだが、徐々に地方にも米食が浸透してきたそうだ(小川 2004: 107)。2020年代となった今や、都市部でも農村部でも、米を食べない日はほとんどないと言ってよいだろう。すでに精米された状態で売られている米は、鍋で炊くだけで調理できる。対して、例えばトウジンビエのクスクスは、穀物を撞いて粉にして、さらにその粉を蒸したりかき混ぜたりしてやっと完成する。この工程は一人でできるようなものではない。地方では、村の女性たちが地縁・血縁関係の中で杵つきから蒸す工程までを集団で作業できる。しかし、都市部で女性たちが毎回集まって杵をつくわけにもいかない[3]。それでも都市部でもクスクスの需要はあるため、1980年代頃にはダカール市内の市場に「杵つき婦」たちがいて、毎日のように雑穀を粉にして、蒸し上がったクスクスを販売するという女性組織ができていたほどであるという[4](小川 2004: 69–70)。つまり、世帯単位での調理工程として考えれば、米は台所で炊くものであるのに対して、雑穀のクスクス(および小麦粉のクスクスやスパゲッティなど)は家庭で「作る」ものではなく、市場で「買ってくる」ものである。そのため、ベンヌ・チンやニャーリ・チンのような分類法は米料理に限定されたのではないだろうか。
米料理が特徴的なのは、食材としてだけではない。ベンヌ・チンにしろ、ニャーリ・チンにしろ、米料理は昼に食べるもので、朝はフランスパン、夜もパンかクスクスなどの料理が登場するということが基本である。そのため、時間帯によって何を食べるかという点にも、セネガル固有の慣習があるのだ。セネガル料理として名前が上がりやすい米料理は、昼に食べるものであり、家庭料理だけでなく、屋台やレストランなどでも口にすることができる。チェブジェンしかり、スープ・カンジャしかり、昼ごはんを食べようと思ったときにレストランの日替わりメニューに乗るのは、基本的に米料理だ。夜も営業しているレストランはあるにはあるが、チェブジェンなど米料理を提供する店はほとんどない。さらに、米料理が食べられる屋台やレストランは昼だけの営業が基本であり、朝は朝ごはんの屋台、夜は夜ご飯の屋台などと分業されている[5]。上に挙げたクスクスやスパゲッティなどは夜に家庭で食べるものであり、レストランで提供されることはほとんどない。こうした時間帯によって食べられる料理が異なること、そしてレストランや屋台の営業形態も時間帯によって異なることは、セネガルにおける食を特徴づける要素でもあるだろう。
セネガル料理は他の西アフリカの国々でも非常に人気があることは、第1回でもすでに清水が述べている。ガイドブックや旅行者のブログ、レシピ本などでセネガル料理として紹介されるものは、たいていが米料理である。いつの間にか「セネガルの主食は米」と紹介されるようになったセネガルには、私が知る限りでももっと多くの料理が存在している。しかし、いまやセネガル人にすら忘れ去られそうな料理も多い。例えば、私はまだ食べたことがないが、トウジンビエの粉末を米のように炊いてソースをかけた料理で、ニェレンというものがあるらしい。あるいは、セネガル南部で栽培されている雑穀フォニオを、米のように炊いて具材を載せた料理があるという。そのどれも、米のほうが楽でおいしいから作らなくなってしまい、いまでは若い女性は作り方を知らないどころか食べたことすらないという状況のようである。この「米のように」という表現は、私が聞き取りをした複数のセネガル人が口を揃えて使っていた表現であった。いかにセネガルの料理が奥深く、多様性に満ちあふれているかがわかると同時に、いかに米料理の広がりがセネガルの食文化に影響を与えているかがわかる。
もちろん、セネガルの米料理だけでも、ベンヌ・チン、ニャーリ・チンともに非常に多くの特徴がある。しかし、当たり前のことであるが、食文化は地域ごとに多様性がある。都市部と農村部では食べているものが異なることは想像に難くないだろうが、それは首都ダカールと地方の村落というだけの違いではない。都市部から村落部への流通や、各地での気候や土壌の違いも大きい。その地方にしかない食材もあれば、その地方には届かない食材もある。なければそこにあるもので創意工夫されているというのが、食文化の面白いところである。それは、民族ごとの食文化の違いとしても見られるものはあるし、隣国から持ち込まれて定着したものもある。そのため、一口にセネガル料理と言っても、その土地ごとで食材も調理法も異なる料理があるのだ。こうした点にも目を配りつつ、セネガルの食文化の特徴を本連載でゆっくりと検討していきたい。
[1] 米をそのまま炊いた白米は、ウォロフ語で「ニャンカタン」(ñankataŋ)と呼ぶ。
[2]小川了(東京外国語大学名誉教授)はセネガルの牧畜民フルベを対象にした人類学的研究をはじめ、インフォーマル・セクターや鍋作りの職人の研究、植民地期の歴史研究など、セネガル研究のさまざまな分野に貢献した。残念ながら先日、ご逝去された。主著に、『可能性としての国家誌―現代アフリカ国家の人と宗教』(1998年、世界思想社)、編著に『セネガルとカーボベルデを知る60章』(2010年、明石書店)。
[3] 基本的に料理に関わる作業は女性の仕事であり、杵つきもそれに含まれる。
[4] 2014年からセネガルで調査を始めた筆者は、ダカールで「杵つき婦」を見たことがない。おそらく製粉機が広く普及して各市場に設置されたことで、「杵つき婦」という仕事が姿を消したのではないだろうか。それとも、筆者がまだまだセネガルのことを知らないだけなのだろうか。なお、地方にも製粉機は普及しているため、農村部でも杵つきをする女性は少なくなっている。
[5] そもそも、油が多くてボリュームのあるセネガルの米料理を夜に食べるのはかなりしんどい。なお、セネガル料理に限って言えば、セネガルにおける外食産業は夜の時間帯をカバーしている店が少なく、バリエーションも限定的である。この点については、別項で改めて取り上げたい。
参考文献
小川了(2004)『世界の食文化⑪――アフリカ』農文協。