寺田匡宏『思考のかたち、雲のかたち』
第8回「イマージュのダンス――意識空間の構造と自己・脳・機械・未来」
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人間に言語が発生したのがいつかはまだよくわかっていないが、進化言語学や進化人類学が明らかにしているところでは、およそ数万年前ではないかいわれている。言語を記録する媒体である文字が生じたのは、2千年くらい前の古代バビロニアにおいてであるから、それに数万年先行する言語の発生の時点では文字を記録する媒体は存在しなかった。
では、記録する媒体が存在しないのに、なぜ言語がその時に発生したといえるのかというと、考古学者は、それをシンボル(記号)の発生と読み替え、ものとして、シンボルとみなされる遺物が発生することと同時に言語が発生したと考えている。幾何学的模様が描かれた粘土やビーズ状に加工された貝殻などが遺跡において見出されるのがその数万年前の時点である[1]。
人類や霊長類の進化の過程はまだよくわかっていない部分が多いが、人間が属するホモ属とチンパンジーが属するパン属が分岐したのは、1000~700万年前といわれている。ホモ属が独立後、そのホモ属の中でも様々なホモが生まれてきた[2]。
ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)が発生するのが60万年くらい前である。このハイデルベルク人は40万年前ごろに姿を消すが、その後、35万年前ごろにホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)が、20万年前ごろにホモ・サピエンスが出現する。この20万年前ごろに出現したホモ・サピエンスはわれわれと同じ種である。出現時期は不明だが、このころには、ホモ・サピエンシス・デニソバ(デニソバ人)などの亜種のホモ・サピエンスも存在した。それらが絶滅し、ホモ・サピエンスが地球上の唯一のホモ属の種となったのが、4万年くらい前のことである。約三十数万年の間、複数の種類のホモ属が共存していたのである。
20万年前に地球上に存在したホモ・サピエンスはわれわれと同じ種であるから、現代のわれわれと同じ身体を持っていた。20万年前のそのホモ・サピエンスを現代に連れてきてわれわれとならんでもらっても、見分けはつかないはずである。しかし、その20万年前のホモ・サピエンスはわれわれと一つだけ違うことがあった。それは、その彼ないし彼女は「話さない」ということである。もちろん、その20万年前のホモ・サピエンスも広い意味では「話していた」といわれているが、それは、現在考えられているような「話す」とは異なる[3]。そこには言語が存在しないのであり、そのような言語が存在しないという状況の中で彼らは、コミュニケーションを行っていた。
つまり、20万年前にホモ・サピエンスが地球上にあらわれてから、数万年前までの約十数万年間、ホモ・サピエンスはシンボルを持たなかったのであり、シンボルが登場するまでの約十数万年の間、われわれの祖先は言語なしで「話して」いたと考えられているのである。シンボルは、モノである。言語が進化するとは、そのモノであるところのシンボルが体系化し、システム化されることである。人間の認知は、その意味で、モノの進化とともに発展してきた。言語を人工物だと考えると、それとともに共進化してきた人間の認知そのものも人工物である。
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人間の認知におけるシンボルの背後にあるのがイマージュである。シンボルは、広大なイマージュの領域の存在を前提とし、その上に生じた現象である。
イマージュという語は、「画像」「像」などと日本語では訳されるが、画や像という具体物であるというよりも、むしろ“見られたもの”というような漠然とした語の方がその含意を伝えるのに適切であるように思われる。ただし、ここでいう「見る」とは、目で見るということに限られない。もっと、根源的な「見る」である。夢を見るというとき、その夢はたしかに見られているのだが、しかし、それは目で見られているわけではない。イマージュが見られるというときの、「見る」とは、夢を見るというときの「見る」という語の使い方に似ている。イマージュは、目で見られるだけではなく、目以外のものによっても見られることができる。そのような、目で見られるものと目では見られない、見られるものを総称したのがイマージュである。
目で見なくても見えるものはある。目を閉じた時に見えるものがある。目を閉じた時に見えるもの、それは、確かに見えているのだが、何が見えているのかをはっきりと表現することはできない。それが、はっきりと表現されたときに、それは、ある種の記号としての役割を帯び始める。そこには、表現という行為があり、表現という行為には、シンボル性の創出が随伴している。
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西田幾多郎は、自己という現象の根底にある現象を「見る」ことと関連づけて論じようとした人である。
「自己の中に自己を映すことが知るといふことの根本的意義である」。
西田は1927年に刊行した『働くものから見るものへ』の中でこう言った[4]。
「自覚の底には直に自己自身を見るものがある」。
1930年の『一般者の自覚的体系』の中で彼は、こうも言っている[5]。自己や自覚の底や根本には「見る」ということがあるというのである。この「見ること」の意義の強調は、彼がそのキャリアの中期において、彼独自の体系をなしたといわれている1917年の『自覚に於ける直観と反省』にまでさかのぼる。その中では、西田は次のように言う[6]。
「自己が自己を反省するといふこと、即ち、自己が自己を写すといふことは、単にそれまでのことではなくして、此中に無限なる統一的発展の意義を蔵して居る」
つまり、自己が自己を見るということが、自己という現象の根源にあり、その境域は、そこからあらゆる自己が無限に発展する可能性を秘めた場所であるというのである。そして、そもそも、その境域は、自己が自己を見るということにより生じる。自己が自己を見るという回帰的な行為が、統一を生じさせるが、その統一は無限の発展を生み出す源泉でもあるのである。自己とは、その中に、無限を抱える現象である。もちろん、肉体は生物的物理的現象であり、そこには、生物的物理的限界が存在するが、純粋に現象としての自己だけをとると、そこには果ては存在しない。すなわち、無限である。そして、それが無限であるということの理由は、自己とは自己が自己を見るものであるというところからきている。自己が自己を見るということは、円環である。だから、そこには限りはない。つまり、自己が無限であるとは、自己とは自己が自己を見る現象であることから論理的に導かれるものである。見るとは、たんなる視覚現象ではない。それは、自己という意識の発生させる原因とも言うべき現象なのである。
この西田の「見る」への注目は、鈴木大拙の「見る」への言及ともつながる。鈴木は『大乗仏教概論』の中でいう。
「見ることは知ることの基盤である。見ることがなければ、知ることは不可能である」[7]。
一般的に言って、何かを見ただけで、それを知ることができるとはいいがたい。また逆に、何かを見ずとも、それを知ることはできるともいえる。だが、しかし、鈴木は見ることがなければ、知ることが不可能であるとまで言っている。ここでいう「見る」とは、単に視覚的な目で「見る」というような「見る」ということを指しているのではないことは明らかであろう。
鈴木のいう「見る」とは、西田が先ほど見た引用でいうような、自己が発生する直観の場所のような境域における現象である。そこにおいて見られるものとはイマージュとして見られるともいえるいわく言い難い不定形の何かであろう。そのような不定形の何かを見ているという経験そのものが、意識や知覚の底にある。東洋の思想においては、見ることが重視されているといわれる。だが、そこで問題にされている「見る」とは、視覚的に見るという意味での「見る」ではない。そうではなく、自己を発生させる場ともいえる境域において何を見るかという問題である。
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自己の発生の場である意識の中で起こる「見る」。だが、その境域とはどのような境域か。
東洋であれ、西洋であれ、意識の問題は、哲学が中心的に論じてきた論題である。西洋においては、デカルト以来、心身二元論の下、自然の反映としての精神の在り方が探求されてきた。アメリカの哲学者のリチャード・ローティはそれを「心の哲学」と呼んだ[8]。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の提唱は1637年だが、それを起点とすると西洋の「心の哲学」は、約400年の歴史を持つ。
一方、東洋の哲学も、精神について深く探求してきた。ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)は、苦しみに満ちた現世からの解脱を解いたが、苦しみとは身体の問題でもあるが、同時にそれは何ごとかを苦痛として感じ取る知覚や精神の問題であることは明白であり、その点からいうと、仏教はその始まりの時点から精神や知覚を問題にしていたといえる。ゴータマ・シッダールタこと歴史的ブッダが存在したといわれるのは紀元前5世紀から4世紀前後である。それ以来、約二千数百年にわたって、東洋では、精神の問題が思考されてきた。
仏教の中でも、とりわけ、大乗仏教は、人間の精神に内部を精緻に構造化してとらえようとしてきた思想体系である。紀元前2世紀ごろにインドで発達した大乗仏教の一流派であるアビダルマ説は、人間によって認識されている世界を75に分類した。それを「五位七十五法」という[9]。「法」はサンスクリットでダルマであるが、ダルマとは、世界の認識法ないしその要素ともいえるだろう。アビダルマ説によると、ダルマは五つの領域(位)によって分かれている。その五つの中に、「識」という要素が含まれているが、この「識」が、今日、われわれが用いる「意識」や「認識」という語の語源である。サンスクリットでヴィジュニャーナविज्ञान vijñānaという。
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意識は、いくつかの層にわかれている。その中で、最も深いところにある層がアラヤ識である。バスバンドゥVasubandhu(世親、5世紀)やディグナーガDignaga(陳那、6世紀)が活躍した大乗仏教の一流派であるインドの唯識思想においては、識を眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、マナ識、アラヤ識の八つに分ける。その中で最も基盤となるのがこのアラヤ識という境域であり、そのアラヤ識とは、万物が発生する機となる場所である。
唯識論の「アラヤ識」という語を用いて、言語とイマージュの関係を論じたのが、イスラム神秘思想に通暁した東洋哲学者の井筒俊彦であった。その著『意識と本質』において、井筒は、「言語アラヤ識」という述語を新たに創出し、その視座の下で、言語を生み出す意識の底にある領域の構造を明らかにしようとした。
「底の知れない沼のように、人間の意識は不気味なものだ。それは奇怪なものたちの棲息する世界。その深みに、一体、どんなものがひそみかくれているのか、本当は誰も知らない。そこから突然どんなものが立ち現れてくるか、誰にも予想できない。
人間のこの内的深淵に棲む怪物たちは、時として――大抵は思いもかけない時に――妖しい心象(イマージュ)を放出する。そのイマージュの性質によって、人間の意識は一時的に天国にもなり、地獄にもなる。」[10]
ここでも井筒が、西田と同じように「底」という比喩を用いていることは興味深い。底とは、何かの下の方にある場所を指す。地球上においては、上と下は太陽の位置によって決まり、上とは相対的に太陽から近い位置を、下とは相対的に太陽から遠い位置を指す。太陽から遠いということは光から遠ざけられているということである。すなわち、そこは、闇に近い領域である。光は見えることを可能とする。井筒が「底」というとき、その底とは光によって見えるものの見え方とは異なる見え方が前提とされている。
「底」という西田と井筒の比喩が、興味深いのは、仏教の経典では、闇ではなく光が強調されることが多いからである。仏教の経典では、意識の構造は、諸仏である如来や悟りを目指す菩薩たちの存在やその存在場所として比喩的に描かれる場合が多いが、その場合、諸仏の存在場所は、光に満ち溢れた場所として描かれる。『法華経』にしろ『華厳経』にしろ、それらが描く、如来や菩薩たちの場所は、黄金や宝石によって荘厳され、花々の芳香が漂い、鳥たちのさえずりが聞こえる境域である。すなわち、大乗仏教では、精神の内部は光があふれる位置として描かれているともいえる。しかし、西田や井筒のとらえ方はそれとは異なっている。むしろ、闇の領域である。その理由は、もしかしたら、西田や井筒が近代人であり、近代人の自我の苦悩を持っていたからかもしれないが、いずれにせよ、仏教の世界観と近代の東洋の思想家に見られる光と闇の対比は興味深い。
一方、同時に、西田も井筒も、精神の内部をある空間的なものとして、空間的比喩を用いて描いていること自体に意味を見出すこともできよう。デカルトにせよ、ヘーゲルにせよ、カントにせよ、フロイトにせよ、ユングにせよ、西洋の思想家は、精神の内部をそのように空間的な比喩を用いては叙述せず、純粋に論理的な構築物としてとらえているように思われる。それに対して、西田や井筒が空間性を持った境域として精神の内部を描き出しているのは、仏教の経典が描き出す精神の構造の叙述の在り方を引き継いでいるともいえる。精神の内部にある空間性を見出すこと、そしてそれを下降のイメージで描くことは村上春樹の小説にも見られる。村上の小説は、西洋の読者に、東洋的だといわれることがあり、村上本人は、それがどうしてなのかわからないと述懐するが、もしかしたら、その精神の内部の空間性のモチーフということが東洋的な感覚を、西洋の読者にもたらしているかもしれない。
井筒は、精神の底である「言語アラヤ識」がイマージュと結びついていることを重視している。言語という現象の根源には、イマージュがあり、そのイマージュが言語という現象を規定しているというのである。イマージュは人間の根源的な非言語的な領域とつながっているが、その非言語的な領域の存在が言語というものを可能にしている。
井筒が言語の底にあるものをさすときに、イマージュという語を持ち出していることは、先ほど見た西田の「見る」という問題ともかかわっている。イマージュとは、見えるものでもある。だがそこでいう「見る」とは、単に視覚的に見えるということではない。井筒が、「言語アラヤ識」の中でイマージュがあるというとき、そのイマージュは視覚的に見えているのではない。それは、先ほど西田が問題にしたような意味で見えているのである。
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井筒の著書のタイトルは『意識と本質』であるが、この本が明らかにしようとしたのは、モノが持つ「本質」のことである。ひとが、モノをとらえようとするとき、ひとは、そのモノをそのモノとして認識することはできない。ひとは、そのモノを必ず、言語を通じて認識する。モノはモノだけでは意識の中に登場しえない。それは言語として定着されなければならない。その際に、前提となるのが、モノの本質というものである。ひとはモノの本質を言語を通じてとらえることで、モノを把握することができる。いや、人が言語を使用することの中に、モノの本質を言語化するという機能がすでに組み込まれている。
アリストテレスは、あるモノをモノとして言語化する際に、基本となる二つの言語的要素を、ヒュポケイメノンとカテーゴリアと名付けた。ヒュポケイメノンὑποκείμενονは、「基体」あるいは、通常、「主語」と訳されるものであり、カテーゴリアκατηγορίαとは、通常、「述語」と訳されるものである。言語には、主語と述語が存在する。なぜ、言語は主語と述語を必要とするのか。それは、主語と述語がモノの本質と関係しているからである。
あるモノが、そのあるモノとして、人間の意識の中に存在するためには、そのあるモノが「主語と述語」としてとらえられなくてはならない。主語と述語とは、言語現象における必須のカップリングであって、言語の中では、主語だけでも、述語だけでも存在することはできない。
「AはAである」といったとき、そのAは「Aである」という形でカテゴライズされている。中世西洋の哲学では「これ」が「これ」であることをヘクセイタスhaecceitas「このもの性」という。一方、モノには、「このもの性」という、個別の、それ自身であることという性質以外に、それが何であるかという性質もあり、それは、クイディタスquidditas「何性」といわれる。具体例を挙げるなら、「このもの性」とは、ここにいる個別の犬のことであり、「何性」とは、その個別の犬が「犬」という普遍物でもあることである。この犬の「このもの性」だけでは、それが犬なのかどうかは決定されない。「このもの性」だけの、その個別の犬は、犬ですらなく「このもの性を持つこのもの」でしかない可能性もある。それが犬であるためには、その犬が、ヘクセイタスだけでなく、クイディタスをも持っている必要がある。
いいかえると、あらゆる「これ」は言語の中で「これ」だけでは存在することはできず、「これはこれである」という形で認識されている。「これ」は、言語の中で「これ」だけでは存在することはできない。「これはこれである」という形がなければならない。
人間の認知スペクトラムの中で、指示代名詞の理解が難しいタイプの人がいる。そのような人は「これ」「あれ」「あそこ」という形でされると混乱をきたしがちだという。そのような人たちは「発達障害」を持つといわれたりもするが、それは正しくない。その人たちは障害を持っているのではなく、そうではない認知を持ついわゆるマジョリティにより社会が構成されているので、そのような認知を持つ人が害を被っているのであり、その人たちが障害を持っているのではない。むしろ、その人たちは被害者である。ともあれ、その「これ」と言われてその「これ」が何を理解するのか難しいタイプの人たちの認知の中では、「このもの性」がうまく意識の中で言語的に構造化されていないのかもしれない。「このもの性」つまり、述語の対にあるのは、主語であり、「何性」である。「このもの性」が個別性の問題だとしたら、「何性」とは、普遍性の問題である。
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西田が「見る」ことを問題にしたのは、当初は直観を論じる中であったが、その西田の分析は、見ることを通じて、自己や自覚の問題に至った。中期西田の哲学は「述語の論理」といわれるが、その述語とは、まさに、あるモノの本質を主語としてとらえるとらえかたとセットになったものとしての述語である。さきほどの用語でいうと、ヒュポケイメノンとカテーゴリア、ヘクセイタスとクイディタスの問題である。つまり、西田の述語の論理とは、古代ギリシアのアリストテレスと中世西洋のスコラ哲学以来の論題を論じている。
西田は、その哲学探究の中で、イマージュについて述べるところは少ないが、西田の「見る」が起こっている場所とは、井筒のいう言語アラヤ識に相当する場所であり、だとしたら、そこで起こっている「見る」とは、自己を見ているだけではなく、様々なイマージュを見ているはずである。西田の思想とは、そのようにして、古代ギリシアの哲学と中世西洋のスコラ哲学を、「見る」という東洋の思想の伝統をもって論じようとしたところに特徴があるといえる。
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言語のない世界はイマージュの世界であり、そこから言語が析出する。シンボルは、イマージュから生まれ、そして固定される。それは、システムが、サブシステムを生み出すことである。
システムとサブシステムの問題で考えると、その過程とは、非生命から生命が析出したのと同じ過程でもあろう。46億年前に誕生した地球上に、37億年前に生命が誕生した。それは、非生命の中のわずかな差異が、十億年という時間をかけて差異化を繰り返し、生命に至ったものである[11]。
イマージュからシンボルの発生も同じ発生のモメンタムの中で起こったと考えることができるだろう。ホモ・サピエンスが地球上に誕生したのは20万年前だが、その時点ですでに現代と同じに大脳を大容量化させていたそのホモ・サピエンスの脳内に、あまたのイマージュが発生した。そのホモ・サピエンスの脳内に存在したあまたのイマージュの差異が、差異化を繰り返し、二十数万年経過することで、言語が析出した。そう考えると、われわれの自己とはイマージュと言語の共進化の産物として生じている現象であると考えられる。
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いま、脳科学の世界では、脳の状態を可視化する様々な装置や機械が開発されている。電気や磁気などの物理的科学的手段を用いて、脳の活性化の度合いを測定し、それと知覚、感覚、情動などの精神状態との結合をさせる研究が飛躍的に進んでいる。代表的なのが、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI, functional magnetic resonance imaging)呼ばれる機械だが、そのような機械を用いて採集された脳の物理的状態と、聞き取りで得られた精神の内部の状態をAIを用いて大量学習させれば、モノとしての脳と非モノとしての精神を結び合わせることも可能になってきている。
運動に関してはすでに、様々な事例があり、神経のダメージにより機能が低下し麻痺した身体を助ける技術の開発が進んでいる。最近では、脳に埋め込んだチップとコンピューターを連結させ、思考により生じた電気信号をコンピューター上のカーソルの動きに変換することで、脊髄損傷により手を動かすことができなくなった人が、脳内で文字を書くカーソルの動きをイメージするだけで、コンピューター上に文字を書くことができたという事例が報告され世界を驚かせた[12]。運動に関しては、すでに機械が脳と結びつくことで、様々なことが可能になっている。精神の内部の感情や思考内容は、運動とは異なる現象であるが、同様の技術を用いると、人は、脳内の内容を互いにダイレクトに伝えあうことができるようになり、そうなるとイマージュを伝達する際に言語が必要ではなくなるのではないかという脳情報学の専門家もいる[13]。
これまでは、人間の心の中のイマージュを見ることができるのは、本人だけであった。しかし、そのような技術が進んだとき、イマージュを、他人が「見る」ことができるようになるかもしれない状況が見えてきている。そのような世界はどんな世界だろうか。そこでは、イマージュがイマージュとして互いに交錯する。そこでは、シンボルや言語が介在しない。自己とは、自己が自己自身を見ることで生じる現象であり、自己を自己として見るものが自己となる。その「見る」が行われる場所が、イマージュの存在する境域であるが、そこに他者がダイレクトに現れる可能性があるのである。
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二つのものが存在するとき、そこには必然的に、あるカップリングが生まれる。そのカップリングとは、お互いがお互いの動きを前提とするダンスにもたとえられる。そこでいう二者とは、任意の二者でよい。そこに関係があるかないかは、関係ない。二者が存在する限り、常に、その二者は関係を持つ。なぜなら、この宇宙という世界は限られた空間であり、そこに存在するあらゆるものは、その存在を通じて互いに影響を与え合っているからである。
あるものAが動く。すると、そのAの動きは、BとAの関係を変え、そのAとBの関係が変わったことで、Bが持つAとの関係性を変えてしまう。関係性により生み出されるダンスである。二者が存在すれば、その関係性は必然的にダンスになる[14]。
イマージュの世界にあらわれた自己と自己。その二者が織りなす関係の踊りを自己だとするならば、そこに他者が参入した時に生じるダンスをどう名付けるべきか。
自己は常に流動している。今現在の自己は、20万年前にホモ・サピエンスが持っていた自己とは異なるはずだし、数万年前にホモ・サピエンスが言語を持ち始めた時の自己とも異なるはずだ。自己は、言語という、モノであり道具である人工物とともに共進化してきた。新な技術の登場で変わる自己と、そのような進化の途中にある自己である。
※この文章は、展覧会「語りあう/あわないイメージたち」(2021年9月17日―10月17日、Tosei Kyoto Gallery)へのオマージュとして書かれた。
[1] Wolfram Hinzen and Michelle Sheehan, The philosophy of Universal Grammar, Oxford: Oxford University Press, 2013, pp. 250-261.
[2] Steve Parker, Evolution: The Whole Story, London: Thames and Hudson, 2015, p.530.
[3] Hinzen and Sheehan, op. cit., p.260.
[4] 西田幾多郎『働くものから見るものへ』岩波書店、1927年、274頁。
[5] 西田幾多郎『一般者の自覚的体系』岩波書店、1930年、121頁。
[6] 西田幾多郎『自覚に於ける直観と反省』1917年、2頁。
[7] Daisetsu Teitaro Suzuki, The Outlines of Mahayana Buddhism, New York: Schocken Books, 1963. p.235. ただし引用はFritjof Capra, The Tao of Physics: An Exploration of the Parallels between Modern Physics and Eastern Mysticism, 3th Anniversary edition, Boulder: Shambala Publication, 2010 (First edition 1975), p.35による。
[8] Richard Rorty, Philosophy and the Mirror of Nature, 30th anniversary ed., Princeton, NJ: Princeton University Press, 2009 (First edition 1979).
[9] 玄奘訳「阿毘達磨倶舎論」高楠順次郎『大正新修大蔵経』大正一切経刊行会、1924-1934年、No.1558。
[10] 井筒俊彦「意識と本質」井筒俊彦『井筒俊彦全集』6、慶應義塾大学出版会、2014年(原著1980年)、173-174頁。
[11] Eric Smith and Harold J. Morowitz, The Origin and Nature of Life on Earth: The Emergence of the Fourth Geosphere, Cambridge: Cambridge University Press, 2016.
[12] F.R.Willett, D.T.Avansino, L.R.Hochberg, et al., “High-performance Brain-to-text Communication via Handwriting,”Nature, 593, pp.249–254, 2021.
[13] 神谷之康「先端技術、人類の未来をどう変える」『神戸新聞』2021年9月2日(朝刊)。
[14] Viktor von Weizsäcker, Der Gestaltkreis : Theorie der Einheit von Wahrnehmen und Bewegen, in Viktor von Weizsäcker, Viktor von Weizsäcker Gesammelte Schriften, herausgegeben von Peter Achilles et al., 4, Frankfurt a. M: Suhrkamp Verlag, 1997.