寺田匡宏『思考のかたち、雲のかたち』
第5回「花をまとう ――変身と変身願望――」
1
コロナでのステイ・ホームによって髪が伸びてきた。
いや、髪が伸びるのは、自然の生理現象なので、コロナであろうがなかろうが髪は伸びるのだが、コロナによって髪が伸びてきたというのは、社会的に髪が伸びてきたという意味だ。
散髪に行かなくなったから髪が伸びた。そういう意味では、髪が伸びるのは生理的現象であると同時に、社会的現象である。
自然に髪は伸びていない。
生まれてこの方、ぼくの髪の毛が自然に伸びるままに任せられたことなどないだろう。
赤ん坊として生まれ落ちて以来、ぼくの髪の毛は、常にだれかの手によって切られてきた。赤ん坊だからといって自然だということはなく、その時点で、すでに、人間という社会的存在として存在しているわけだ。
ステイ・ホームで伸びた髪とは、その社会的な髪の毛である。自然の生理現象によって髪が伸びたが、その伸びた髪は社会的な髪である。
その社会的というのには規範というような意味もある。
これくらいなら髪を切らなければならないと思うことが社会的なことなのであって、そのこれくらいというときのこれくらいの目盛りは、ぼくだけの目盛りではなく、社会的に許容される髪の長さだとか、社会的に好ましいと思われる髪の長さだとかいう要素が入っている。
これを逆に考えると、だから、髪が伸びようと伸びまいと構わないともいえるだろう。
そもそも、社会的な髪であれば、社会の方も変わっているはずのだから、その髪の長さの基準も変わっている可能性がある。
コロナ後のステイ・ホームがあけた後、街に出てみたら、全員が長髪であったということもあり得るだろうし、全員がスキンヘッドだったということもあり得るだろう。
2
そういえば、武漢に派遣された女性の看護師たちが長い髪を剃り落とす画像もあった。
まだ日本ではそれほどコロナが騒ぎになっていなかったが、武漢が封鎖されていたころのことだ。若い女性たちが、つぎつぎと髪の毛を剃り落とす。剃り落とされた髪の毛は、かたちよく元の髪型をとどめ、まるで遺骸のように横たわる。そんな映像が報じられた。
コロナウイルスによる重症急性呼吸器症候群は、ウイルスによる感染であり、それは物質による感染である。
病には、物質を介する病もあれば物質を介さない病もある。感染症は物質を介することによって発症する病だが、精神病は物質を介さずして発症する病である。
コロナウイルスによる重症急性呼吸器症候群はウイルスという物質を介するものであり、ウイルスが付着したものを減らすことにより、ウイルスが体内に侵入する機会を減らすことが感染の防止策になる。
看護師の場合は、患者の看護をするわけだから、その患者から排出されるウイルスの付着を減らす必要があるわけだ。
毛髪は約10万本あると言われる。だとしたら、その毛髪をなくすることは理に適っている。だが、防護服や防護用頭巾でも十分にそれは機能した筈である。
それなのに、なぜか毛髪が剃り落とされた。
もちろん、当時はコロナウイルスの性質がよくわかっていなくてそうせざるを得ない面もあったであろう。
だが、しかし若い女性に毛髪を剃り落とさせるというのはショッキングである。見方によってはエロティックで、ある種の性的倒錯の感もある。二重三重に入り組んだ意味が生じるそれは純粋な医学的見地から見られるべきでなく、ある種のプロパガンダという要素からも見られるべきものなのかもしれない。
3
若い女性の髪の毛は、セクシュアリティのシンボルである。
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
これは『みだれ髪』の中に収められた与謝野晶子の歌であるが、ここには二十歳の若い娘の流れる黒髪とそれをおごる春とみる見方がうたわれている。流れる黒髪は若い女性の若さの象徴であるのだ。
イスラムにおいては一定年齢に達した時、女性は髪をヘジャブやヒジャブと呼ばれる布で覆うことを要求される。
トルコに滞在したことがある。トルコはイスラム圏で、イスラム圏の通例にしたがい、女性はみな髪を覆っている。しばらくトルコに滞在し、その後、陸続きのヨーロッパ側に移動した。そこは非イスラム圏であり当たり前のことながら、髪を覆う女性はいない。
驚いたことに、そこで目にする女性、とりわけ若い女性の髪があまりになまなましく目に入ってきたのだ。その感覚は肉感的で、そんなものをこれまで平気で見ていたのか、と驚くほどだったことをおぼえている。もちろんそんな感覚は、すぐに失われた。ここにも、社会的髪が存在する。
(女性の黒髪にだけセクシュアリティを感知することも、もちろん社会的現象である。男性の黒髪も、セクシュアリティの象徴でもあるはずだーーもちろん、そそれが、黒髪でない文化圏も当然あるーー。澤崎賢一の映像作品「よしことしゃんらんがわたし」はそれを問う作品である。そこでは、15年戦争(第二次世界大戦、アジア太平洋戦争、大東亜戦争)中に上海に従軍した祖父を広島に訪問する彼のパーソナルな旅と、彼自身がチャイナドレスに長い黒髪姿の李香蘭に扮して踊る映像が並行して登場する。国家・黒髪・セクシュアリティ・戦争の関係を深く問う作品である。)
4
髪をこのまま伸ばしておこうかと思い始めた時点で、すでにそれは変身願望である。
髪をこのまま伸ばし続けたならば、それはまた違う自分を鏡の中に見ることである。
伸びる髪を切ることはある意味で恒常性を維持する行為だ。ある長さに髪をとどめておく行為。髪を伸ばすとは、その恒常性を少し断ち切って見ることだ。
変身願望とはそのようなものである。それまでそうであったものをそうでなかったものにしてみる。それまでの自分を変えてみる。
とはいえ、そもそも恒常的であるものは存在しないのも事実である。
自然の中にはエントロピー増大の法則として知られる熱力学第二法則があり、その法則によると、エントロピーは常に増大し続ける。あるモノは崩壊するのが常態であり、それを崩壊させないようにするのは自然の法則に反している。恒常性を求めることは、そもそもが自然の法則には反している。髪の毛が今ある長さで切られているのは社会的なのだが、同時に、それは自然の法則に反するという意味でもある。
逆に言うと、髪を伸ばし続けることは、自然の法則に任せることでもある。だがそのようにして伸ばされた紙は、おそらく自然なものではないだろう。自然ではなく、異的なものとなってしまう。
そもそも、あらゆる人には、自然な状態は存在しないのだ。人間は服を着ているし履物もはいている。人間は言葉を話す。
衣服も言葉も文化であり、それは生得的なものではない。衣服を着る遺伝子は存在しないし、言語を話す遺伝子は存在しない。それは、人間がある集団の中において人間が生まれるから身につけられるものであって、仮に、同じ人間が動物に育てられたとしたならば、衣服も身につけないし、髪も整えることはない。
5
髪の毛が伸びることは変身だが、変身というだけあって、それは身体を変えることである。もちろん、ふつうは髪を身体とは言わない。けれど、組成としては髪も人体の一部であるから身体といってもよいだろう。
とはいえ、変身というと、肉体を変えることと言った方が通りがよいのも事実ではあろう。
運動を行うことによって肉体を改変することもあれば、入れ墨や身体加工によって肉体を変えることもある。
運動と言うと、ボディビルに代表されるような、筋肉の増強が一般的にはすぐ思い浮かぶ。けれど、マラソンをすればマラソン向けの体になるし、合気道をすれば合気道向けの体になる。
さらにいえば、肉体とふるまいとは結びついているから、肉体を変えるとはふるまいを変えることでもある。
肉体の概念をそのふるまいまで拡張して考えるならば、正座ができる身体、ヨガのシルスアサナ(ヘッドスタンディング)ができる身体、スキーができる身体、クロールができる身体、ゴルフボールを狙った位置に飛ばせる身体を手に入れることも肉体改造の一つである。
筋肉は、口の中にもある。
日本語には、舌を様々なところに動かすことによって発音する語は比較的少ない、のどの奥から息を吐いてする発音もない。しかし、中国語やサンスクリット語にはそのような語がある。
そのような語を発音できるようになることは、舌の筋肉がそのような音に適して改変されることである。その意味では、新しい言語を身につけることはまさに「変身」の一つである。
6
じつは、ひとは日々変身している。
とはいえ、それに気づくことはそうそうあることではない。
変身を手っ取り早く実感できるのはやはり衣服だ。
衣服で変身するというのは、男には不利だなあと思う時がある。ジェンダーによるドレスコードのしばりはそれほどきつくはないとはいえ、それでも、男性の服は女性の服とは違う。
一番違いが大きいと思うのが、服に模様がどの程度許容されるか、ということではないかと思う。男性の服は、模様の許容度合いがそれほど高くはない。というか、かなり低い。
ぼくのいる研究所にトモエさんという女性がいて、この人は時々、巻きスカートをはいていることがあるが、その巻きスカートの模様が大きな鮮やかな花柄だったことがある。黒地だったか赤地だったかの上に、大胆な大きな花が一輪か二輪プリントされた布地だった。
そんな時は、うわー、素晴らしいな、と思うが、同時に、そういう花柄は男性の服では許容されないよなー、と少しさびしくもなる。男が、花柄を大胆にまとうことができたらどれだけ素晴らしいだろう。
といっても花柄が許容されていないわけではない。ネクタイの定番の模様のペイズリーは植物のモチーフが起源だというし、アロハ・シャツの模様も花柄模様が定番だ。
ぼくにとっては、アロハ・シャツと言えば、人類学者の石山俊さんだ。夏になるとアロハ好きの石山さんは、ほぼ毎日アロハで研究所に出勤する。ピンクや赤や水色、鮮やかなそのアロハを見ると、あ~、夏だなあ、と思う。ぼくもアロハ・シャツは好きなので、時々着るが、毎日着ることはない。石山さんはアロハを着る人に対して連帯感があるらしく、時々、アロハを着ていくと、石山さんが「お、いいね」と言ってくれる。そう言われるとぽんと「いいねマーク」をつけてもらったようで、なんだかうれしくなる。
そういえば、ぼくが着ているアロハは一体どんな花の模様なんだろう。
なんとなくは認識しているが、まじまじと点検してみたことはない。引き出しから出して並べてみた。
赤地に白抜きと薄い茶色で描かれた月桃の葉と花、藍色の地に描かれた炎のようなオレンジと赤のトーチジンジャーの花と肉厚の剣のような緑の葉、ブルー地にブルーで染められたハイビスカスとカーキ色のジャスミンとその葉。黒みがかった濃い紺色の地の上のトケイソウとシャクヤクは水色とセルリアンブルーと緑色だ。布地のうらがわに藍色の模様化した花がプリントされたものや、小さな花の小紋もある。このままアロハの収集を続けていけば、アロハで植物図鑑というのもできるかもしれない。
アロハ・シャツには花以外の模様もあるみたいだが、ぼくが持っているアロハは、全部、花の模様だ。ぼくは普通のシャツは大体がボタンダウンで、模様は紺と赤のチェックだ。その色の組み合わせをいくつも持っている。細い格子、太い格子、あるいは、地の色が赤で紺の格子などなど。考えてみれば、そのような組み合わせのデザインは無限にできるだろう。普通のシャツはチェックなのに、アロハは花柄というのは我ながら奇妙だとも思う。花の模様を着るためにアロハを着ているともいえるが、実際、それ以外のシャツで花の模様を見つけるのは案外難しいし、仮にあったとしても、普通のシャツで花模様だとちょっとキッチュになってしまう感じもある。春はあけぼのではないが、花はアロハ、ということかもしれない。
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村上さんが『村上T』という本を出した。(村上さんというのは村上春樹のこと。高校の先輩――もちろん何十年も上の先輩だから直接見たことも会ったこともないが――で、なんとなく呼び捨てにしがたいので自分の中ではこう呼んでいる)
本屋でその本を見た時、「これは何?」と思った。新刊書の本棚に表紙が見える形で陳列されていて、タイトルだけが見えたのだが、タイトルだけでは、それが何かよくわからない。
ん? 村上? 村上さんには、『村上ラジオ』とか『村上レシピ』とかいう本があるので(厳密に言えば『村上レシピ』は村上さんが書いた本ではないが)、もしかしたら、“この”村上は“あの”村上かも、と思ったが、「T」というのがわからない。なんだ、この「T」というのは? と思って手に取ると、村上さんがあつめたTシャツの本だった。手のひらサイズの正方形の本だが、村上さんには、この手の小型の正方形の本が結構ある。
で、この本は、段ボール何箱もある村上さんのTシャツ・コレクションから選んで短いエッセイをつけた本だった。たしかに、村上さんはよくTシャツを着ているが――というか、という写真がよくいろんなところに掲載されているのをよく見るがーー、それがそれほどの量になっているとは。
しかも、それを保存しているところがすごい。「物持ちのいい人」という言葉があるが、まさに物持ちのいい人だ。
とはいえ、それは歴史的なコレクションでもある。なにしろ、第1ページ目に出てくるのが「トニー・タキタニ」のTシャツだ。村上さんに「トニー滝谷」という短編があり、それは映画になったり英訳されたりしているが、そのトニー滝谷というのが、彼がハワイで買ったTシャツにプリントされていた人名であり、その人名を見て、「ん? これはどんな人なんだろう」と想像をめぐらせた村上さんが書いてしまったのが、その「トニー滝谷」という短編小説だからだ。まさか、その現物があってそれを保存していたとは。村上春樹博物館というようなものができたら、それは当然、そこの展示品になるだろう。いや、実際早稲田大学に村上春樹資料館(早稲田大学国際文学館・村上春樹ライブラリー)ができているので、そのTシャツも、いずれはそこに収蔵されるのかもしれないが。
「トニー滝谷」という小説は、内面と服をめぐる小説だ(村上春樹『めくらやなぎと眠る女』所収)。
服を買うことのアディクト(依存症)の女性が出てくる。その夫がトニー滝谷だ。妻は服を買うのが止まらない。妻自身もどうしてそうなのかわからない。で、その若く美しい妻は、大量の服を残して突然死ぬ。夫はその妻のことを理解したいと思い、アルバイトの女性を雇ってその残された大量の妻の服を着てもらうということまでする。もちろん、そんなことをしても妻の内面はわからない。
哲学者の国分功一郎に『中動態の世界』という本がある。中動態とは、受動態でもなく、能動態でもない状態のことをいう。一般には、人が何かをするのは、自分でする能動か、誰かに何かをされる受動か、という二つだと思われているが、しかし、実は行為とは、それほど単純ではないのだという。その典型が、アディクトと呼ばれる状態だ。薬物やアルコール、ギャンブル中毒などはその一つである。その状態においては、その行為を、自分がやっているのだが、自分ではコントロールできない。ではその主体は何なのか。
中動態というのは、古典ギリシア語などにある能動と受動の中間の状態を指す「態」である。国分は、アディクトとは、そのような中動態の状態ではないかという。
それは、本人がやっているのだが本人がやっているのではない。かといって、それはだれかにそうさせられているわけでもない。
人というのはそういうものであり、ひとという外側の内面とはそういうものである。
人には内面がある。だが、それは内面とはいえ、じつはその内面もたんなる服のようなものであり、その中には何もないものなのかもしれない。「トニー滝谷」という小説はそんなことをも考えさせる。(ただし、この説は、洋服には当てはまっても、この後、書くようにきものには当てはまらないかもしれない)
8
日本の戦国時代の武将の衣装が大胆で前衛的だったのは有名な話だ。
かぶとや甲冑、陣羽織にちょっと今では考えられないくらいの模様が用いられている。キッチュという言葉があるが、まさにキッチュがふさわしいような模様も多い。
アゲハチョウを一匹丸ごと大きく染め抜いた陣羽織、五色の大きな水玉が乱舞する陣羽織、塗り物に下鹿の角を付けたかぶと、月と日を前立てにしたかぶと、などなど。
武将がそれらを身にまとうのは戦場である。戦場で身にまとうものと言えば、今は戦闘服であり、迷彩服である。デザインよりも機能性が重視される。それに引きかえ、武将がそのようないでたちを、戦場で身にまとうのはずいぶんと意味のないことのようにも思える。だが、平家物語などを読むと、戦場は単なる戦闘の場ではなく、武将たちにとってはある意味で舞台でもあったようにも思える。そんな場であるからこそ、装うということが大切になる。だが、それにしても、そこに模様があるというのは不思議なことだ。模様とは人に何らかの力を授けるものであるのかもしれない。
9
メキシコのルチャ・リブレは、ほとんどが覆面のルチャ・ドールたちによって行われる。
「ルチャ」はスペイン語で戦い、「リブレ」は自由。「ルチャ・リブレ」とは直訳すると「自由な戦い」という意味だ。もしこれが「自由への戦い」であるならばロマンチックなのだが、これは自由な戦いという意味で、水泳の自由形のように任意の戦い方ができる格闘技のことだ。とはいえ、水泳の自由形が事実上クロールであるのと同じように、このルチャ・リブレは事実上プロレスのことを指す。
覆面というと日本やアメリカのレスラーたちの覆面は型にはまったような覆面が多い。いわゆる目出し帽といった感じの覆面だ。
しかし、メキシコのルチャ・リブレの覆面は違う。数千人くらいいると言われるルチャ・ドールのほとんどが覆面ルチャ・ドールだが、その覆面のデザインは独特なのだ。発想そのものが全く違う。
覆面のデザインはどうしても「顔をデザインする」という発想になりがちである。眼があって、花があって、口がある。しかし、ルチャ・リブレの覆面は、「顔をデザインする」というのではなく、顔と無関係な全く違ったものがデザインされているのだ。
数字がちりばめられた覆面、幾何学模様の覆面、全面が渦巻きの覆面……。
抽象化の度合いがかなり高い。その感覚は、縄文時代の模様のようでもある。縄文の模様は模様なのだが、それが何を意味しているかよくわからないものもある。縄文の模様は、何かを抽象している。だが、その何かが何を抽象しているかが、抽象の度合いが高すぎてわからないのだ。
メキシコは、古代にはマヤ文明やアステカ文明が存在し、独特の模様を持つ。ルチャ・リブレ研究家の清水勉は『国宝級マスク研究』という本の中で、ルチャ・リブレの覆面が独特である背景には、そのようなアステカやマヤ文明の独特のデザインがあるのではないかという。その謎を知りたくて彼は、メキシコ国立の人類学博物館に入り浸って古代アステカやマヤのデザインを勉強してきたそうだ。メキシコ国立民族学博物館は、そのコレクションで有名な博物館で日本の国立民族学博物館や国立歴史民俗博物館が設立される際に参考にされた博物館の一つである。
覆面にもデザイナーがいる。デザイナーといっても覆面工房の職人のことなのだが、メキシコには複数の覆面工房があって、その工房がそれぞれデザインを競っている。一般には覆面工房など無名だし、だれがその覆面をデザインしたかは知られていないが、ルチャ・ドールたちの間では知られている。読み人知らずのデザインという言葉があるが、後世には名前が残ることはないが、しかしそれをデザインした人は必ずいる。
日本の戦国武将の甲冑だって、陣羽織だって、それをデザインした職人がいるはずだ。武将たちは、自分のお目当ての職人を目当てに甲冑やや陣羽織を発注していたのに違いない。
10
服をまとうことは、人に力を授けることである。
確かにそうだ。変身とは体が変身することである。そして、服をまとうことは有形無形の力を服からもらうことである。
きものの力についてそんなことをよく聞く。きものの力について語ったのは社会学者の鶴見和子だった。いまなら、身体学の三砂ちづるだろう。どちらもきものを思想として考えようとする人だ。二人とも、大学で教鞭をとるが、講義はきもので行う。鶴見はほぼ365日きもので過ごしたという。
きものを着ると背筋が伸びる。
「きものは直線裁ちの布を縫いあわせただけのものである。洋服のように、体の線に沿って裁断して縫いあげたものではない。したがって、洋服のようにはじめからかたちが固定していない。かたちなききものにかたちを与えるのは着る人の姿勢である。それは、文字どおり、姿のいきおいなのである。」(鶴見和子『きもの自在』13ページ)
鶴見和子は、きものは、骨格を意識させるという。きものは、それ自身は構造を持たない。ヨーロッパ起源の「洋服」は服自身が構造を持つ。服自身が自立し、その自立した構造を持つ服の中に身体を閉じ込める。人が脱いだ洋服は、人のかたちをしている。
一方、きものは、自立した構造を持たない。一枚の布を体にまといつかせるだけだ。人が脱いだきものは人のかたちをしていない。それは単なる平面の布になってしまう。
とすると、その布にしか過ぎないものをきものとして成り立たせるためには、身体が構造とならざるを得ない。
「着物を着ること自体が体を整えることなんです。着物、帯、帯締め、すべて真ん中を持って中心軸を意識しますから。着る所作、脱ぐ所作、一連のことが体を整えてくれる」(山村若静紀・三砂ちづる・山崎陽子「きものはからだにきもちいい?」『七緒』59号、54ページ)
三砂ちづるはこういうが、きものを着ることとは、自らの身体が構造材となってきものというもともとは形を持たないものにかたちを与えることである。中心軸を身体の中に持つ。中心軸は、すでに身体の中に存在するが、きものを着るとはそれに意識的になるということである。ここでいう中心とは、世界の中心でもあるだろう。身体の中に世界の中心を見る。世界の中心性は、意識の中心性から導かれる場合もあるが、ここでの中心性は身体による中心性である。デカルトは「われおもうゆえに、われあり」といった時、意識は世界の中心になった。その意識は身体を持たない。しかし、ここでは、意識の中心性から身体の中心性へと中心が移行する。
鶴見の『きもの自在』という本は彼女のきもの哲学が余すところなく開陳された書である。
もちろん、きものは装いであるから、装いの美や取り合わせの妙といった部分を抜きにすることはできない。それらがありつつ、あるいは、それらを含み込みつつ、いかにきものに身体を沿わせてゆくのか、きものを着る身体に意識的になれるのか、意識的になることが心地よいのかが書かれる。
きものは直線裁ちした布である。ということは、同時に、布の魅力がダイレクトに出るということでもある。『きもの自在』には、鶴見がインドやベトナム、カンボジア、インドネシアで見つけたり、お土産にもらったりした布を用いて仕立てた着物や帯がふんだんに紹介されている。鶴見は、様々な出会いによってきものはなりたっているというがその面目躍如である。
「きものを着ていると、わたしは日々、より自由に、おもしろく、楽しく暮らせる。自由になれるから、わたしはきものを着ている。」(鶴見和子『きもの自在』149ページ)
鶴見はこういう。自由になるために着るとはどんな素晴らしいことだろうか。自由になることとは、楽しいことである。それは自由が放逸だからではない。放逸は楽しくはない。自由が楽しいのは、自分になれるからである。そして、自由になるということとは、自分になるということだという。自由の中に自分であることを見出す。
「きものは自分を律しないと着られません。いつも「頭のてっぺんから爪先までわたしである」と意識していないと、ほどけてだらしなくなってしまいます。だからきものは自由なんです。自律しているから。」(鶴見和子『きもの自在』149ページ、150ページ)
わたしがわたしであるということは、わたしがわたしであるということを発見しなくてはならない。わたしがわたしであるというのは、だれからあたえられるのでもない。それは、わたしが見つけるべきことなのだ。まとうということは、ほんらいはそういうことなのであろう。
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花をまとう。
考えてみれば、花自身も花をまとっているのだ。正確に言うならば、花を咲かせる植物は花をまとっている。
アマリリスであれ、芙蓉であれ、黄色葵であれ、ハマユウであれ、ジャカランタであれ、カンナであれ、どのような植物も、花をまとっている。
四六時中花を咲かせる植物はなく、ある時、ある時点で花を咲かせる。花を咲かせるということとは、植物が花をまとっているということだ。
花は咲くといわれる。けれども、じつは、それは、まとっているとしか表現できないものではないか。花は生殖に関わる機能を持つことは確かだが、しかし、厳密に生殖に関わる機能だけだとも言い切れない。花は、記号でもある。花とは、それを通じてメッセージが発せられているという点で記号である。
その意味では、人が服を着るのと全く変わらない。服も機能という側面があるが、同時に服は記号である。
花は、花をまとっている時点で、花であるという自己になっているはずだ。
花は花をまとうことで、花になる。それは花ならざるものが花という存在になるということだ。花が咲く前もその花はある意味で花ではあろう。だが、花は花をまとうことで花になる。
ひとはひとであることを意識して人になる。花が花をまとうということは、ある意味では花が意識して花になるということだ。もちろん、そこでいう意識することとは、ひとが意識する意識とは違う。しかし、そこには、なにかが、なにかになる、なにかかが、なにかに作為的に変わるという点で、同じ機制があるというのも確かだ。
その点で人も花も同じだ。だとしたら、人が花をまとうこととはごく自然なことなのかもしれない。
【文献】
『七緒』59号、プレジデント社、2019年
国分功一郎『中動態の世界』医学書院、2017年
清水勉『国宝級マスク研究』タツミムック、2019年
鶴見和子『着物自在』晶文社、1993年
村上春樹『村上T』マガジンハウス、2020年
村上春樹『めくらやなぎとねむる女』新潮社、2009年
【映像】
澤崎賢一「よしことしゃんらんがわたし」 2012年、https://vimeo.com/70467926