寺田匡宏『思考のかたち、雲のかたち』
第2回「弁当のための弁明」
1.
ソクラテスの弁明があり、歴史のための弁明がある。
弁明とは弁証法の一つであり、あるものに対してむけられた批判に対する反論ないしは反証である。
紀元前399年にアテネで行われた裁判で、ソクラテスは、自身に向けられた、対話による哲学で青年たちを惑わし、アテネの神々を屈辱しているというソフィストたちの告発に対する反論を行った。『ソクラテスの弁明』は、弟子にあたるプラトンが、その内容を記憶により再現した書である[1]。
『歴史のための弁明』は、「ねえ、パパ、歴史はなんの役に立つの」という娘からの”告発”に対する、父の反論の書である[2]。父とは、マルク・ブロック。20世紀初頭に活躍したフランスの歴史家で、それまで国家史が中心だった歴史学に人々の生活に目を向けた社会史という領域を開拓し、のちのフランス「アナール学派」の基盤を気づいたとも言われる人である。
ソクラテスの場合は、その告発は、死刑という自己の生命に直結する重要な問題であった。一方、ブロックの場合は、娘によるたあいもないともいえる“告発”である。ソクラテスは、しかし、弁明に失敗すれば自らの死を招くような弁明をごく軽やかに行う。一方の、ブロックの弁明は、娘に対する弁明だが、平易でありながらプロの歴史家にも通じる高度な内容でそれを説く。スタイルは違うが、どちらも理性的に行われ、本の長さになるくらいの詳細な検討である。
2.
さて、ここで弁明したいのは弁当のための弁明である。ぼくの弁当をぼくが弁明する。
弁当になぜ弁明が必要なのか。
ぼくの弁当を見た人は、一瞬驚く。
弁当を包んでいる手拭いをほどき、弁当箱のふたを取ると、そこにあるのは、弁当箱の約三分の二を占める白ごはん。それに、仕切られた残りの三分の一のいわゆる「おかずスペース」に収められたほぼ生のニンジンの短冊切りと、おなじくほぼ生のピーマンのくし切り。それだけだからである。
コロッケも入っていなければ、シャケの塩焼きもない。漬物もなければ、卵焼きもない。赤、白、緑のイタリア国旗のような弁当だ。白ごはんと生のニンジンとピーマン。
これから弁明するように、それはそれなりに意味があってこのようになっているし、じつはこれは見かけとは違うのだが、まあ、しかし、どうして? とか、理解できない、と思われるのも致し方ない部分もある。
一緒にだれかと食べている時など、ずいぶんと変わった弁当だと言われることもある。
確かに変わってはいるだろう。そのたびごとに、説明し、説明するとなるほどと納得される。ということは、この弁当は変わっているが、それはそれなりに考えてみる材料であるといえるかもしれない。
弁明とは、ソクラテスとマルク・ブロックの例を見るように、思考を深める機会でもある。弁当のための弁明ということで、少し改めて弁当について、あるいは弁当を作ること、調理することについて考えてみたい。
3.
基本的に、ぼくは、昼食は弁当である。職場で仕事をしている時も、家で仕事をしている時も、どこかに行く時も――店を予約して誰かとランチをするとき以外は――弁当である。休日も同じ。
弁当は自分で作る。そして、その弁当の中身は、決まって上記のものである。
ということは、毎日同じ弁当を作り、毎日同じ弁当を食べているということになる。ずいぶん長くこの習慣を続けているが、ずいぶん長くこの習慣が続いているということは、そもそも、ぼくは、昼食にそれほどのバリエーションを必要としない人であるということがあるだろう。
朝食も夕食も自分で作るが、さすがに、朝食と夕食は毎日同じではない。それはそれなりに旬に合わせた食材とその調理法に基づいたメニューを用意している。
とはいえ、この弁当を作ることができるのは、白米がある日本にいるときだけだ。
ぼくは、わりとしばしばヨーロッパに短期的に住むのだが、その時は、昼食はこのような弁当ではない。大体がサンドイッチ。パンに薄切りにした茹で卵、トマト、キュウリ(あるいはキュウリのピクルス)、チーズをはさむ。ハムやベーコンははさむときとはさまないときがある。だが、これとて朝に作っておいたものを、昼時に食べるから、弁当であるともいえる。
4.
ニンジンとピーマンが弁当箱の「おかず」の位置に入っていることには、ドイツでの体験が反映している。
ドイツ語を結構真剣に勉強していた時期があった。その過程で、ドイツにも何度か住んだが、その時気づいたのは、ドイツ人には、弁当に生のニンジンを食べる人がいるということ。
ドイツには、というかドイツにも、昼食を簡単な軽食で済ます人がいて、そんな人は、タッパーに詰めたスティック状の生のニンジンやコールラビ(大根に似た根菜)とパンというような弁当を持ってきている。いや、中には、スティック状に切らない、そのままの生のニンジンをまるかじりしている人もいる。
ドイツには、重い食事と軽い食事という区分、あるいは温かい食事と冷たい食事という区分がある。昼にディナーのような重いあるいは温かい食事を食べた時は、夜には軽いあるいは冷たい食事を、夜に重いあるいは温かい食事を取るときには、昼には軽いあるいは冷たい食事をとる場合が多い。
軽いあるいは冷たい食事は、食事というよりも軽食という感じで、ニンジンとパンというのはそのパターンである。甘いものが好きな人ならば、クッキーにオレンジジュースというようなのも軽い食事の範疇に入る場合もある。
なるほど、ニンジンだけでも昼食になるのか――。それは、ある種の衝撃でもあったが、同時に、ドイツ人的合理性というようなものを体現しているような気もした。機能第一というか。それを見習ってというわけでもないが、弁当の「おかず」にはニンジンを入れるようになった。
5.
ただし、このニンジンは生ではない。蒸し煮である。蒸し煮とは、少量の水だけで食材を柔らかくする方法だ。フランス語では「エチュベ」といい、れっきとしたフランス料理の調理法である。
雑誌を見ていて、イチジクのエチュベというのを見たことがある。生のイチジクをかるく蒸し煮して、オイルとナッツとハーブなどを添えてサーブする肉料理の付け合わせだ。
フランス料理では、エチュベの際には、鍋に薄く油を引き、食材には塩を軽く振るようだが、ぼくの場合はそれはしない。わずかの時間、煮るだけでニンジンは驚くほど柔らかくなり、甘みが出る。どれくらい火にかければ、どれくらい柔らかくなり、どれくらい甘みが出るかは大体のところはもうわかっているが、ニンジンによっても違う。日本のニンジンは、ヨーロッパのそれに比べると格段に甘い。ピーマンも同じ。
ニンジンとピーマンの柔らかくなる速度は違うので、同じはじまりからエチュベするとピーマンはくたくたに近い状態になる。好みで、後から投入する時もある。
6.
弁当箱の三分の二を占めるメインの「ごはんスペース」に詰められている白ごはんだが、じつは純粋な白ごはんではない。
上から見ると、白米だけの白ごはんで、真っ白だが、その白ごはんは層状になっていて、層の間には“かてもの”が詰められている。かつお節ととろろこぶと白ゴマの時もあれば、ちりめんじゃこと黒コショウのときもある。アラメと黒ゴマに細かく刻んだショウガの時もあれば、芝エビとイリコと白ゴマの時もある。大体が海産物の乾物だ。
春には豆ごはん、秋には栗ご飯にすることも時々はあるが、基本的にはこの海産物のごはん。手がかからないと言えば手がかからない。とはいえ、ごはんは、酢飯にするときもあり、酢飯に混ぜ物という点では、“かてもの”を、甘辛く煮付けたシイタケやかんぴょう、アナゴにでもして、さらに錦糸卵を散らせばちょっとした押しずしになる。
辰巳芳子の料理理論に「展開」というのがある[3]。ソースや出汁や米大豆などの基本素材のベーシックな要素を一つのユニットとして考え、それを変形することで料理の種類を広げてゆく考え方だ。
ホワイトソースを基本とするユニットからは、それを用いたグラタンやシチューやコロッケが「展開」される。トマトソースを基本とするユニットからは、それを用いたパスタやラザニアが「展開」される。
ある基本を押さえておけば、そこから次々に別の料理に広げていくことができる。システム的というか、メタボリズム的な考え方である。料理の哲学者とも言われる辰巳芳子には及びもしないが、ぼくの弁当箱の白ごはんもこの「展開」のある種の原形のようなものではあるかもしれない。
7.
ということで、白、赤、緑の単純な弁当だが、それなりに料理の基本を実践しているともいえる。もちろん、料理とは、その上に、味付け、風味、いろどりといったものを加えて豊かにしてゆくものであり、これは基本の最も骨組みだけではあるのだが。
環境との関係でいうと、産地はすべてわかっているので、環境には優しい。大体が国内産で、ニンジンは熊本のことが多い。ピーマンは大分か高知。白米の産地は様々だが、徳島や石川のコメをこのところよく買う。アラメは三重の伊勢志摩、とろろこぶは北海道で、芝エビとちりめんじゃこ、いりこは瀬戸内から来ている。あと、黒コショウとごまだけが、それぞれベトナムとウルグアイという遠い国の産物だ。
食材が運ばれる距離とそれに要した費用のことを、人間や貨物のマイレージになぞらえてフード・マイレージと言うが、この弁当のフード・マイレージは、比較的低い。
8.
外国の研究者と一緒に弁当を食べている時には冗談で、ぼくの弁当がシンプルなのは「禅」の精神だと答える。
もちろん、これは、冗談である。禅の美学はそぎ落とす美学であることも確かだが、一方で、禅には繊細な様式の積み重ねがあることも事実である。禅の料理である精進料理は単純であるどころか、洗練されさまざまな工夫がされている。
禅はごく短い間だが禅寺に逗留して僧坊の生活を体験したことがある。禅においては、食も修業の一つと考え、非常に厳格な戒律がある。若い日に禅寺で修行した水上勉の『土を喰ふ日々』、『精進百撰』という食に関するエッセイであり調理の指南書には、禅僧が、料理と食材にどれほど真剣に向き合い、味のことをどれほど重要に考えているかが描かれている[4]。
9.
禅における形而上学を展開した思想家に道元がいる。いまから900年くらい前、鎌倉時代に活躍した人である。
彼の主著である『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、存在や時間を含む哲学的問題を高度に説いた書である。その道元に『典座教典(てんぞきょうてん)』と『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という書がある[5]。典座とは、禅宗の用語で調理係を指すので、『典座教典』は、料理係のためのテキストブックということになる。『赴粥飯法』の方は、文字通り、おかゆとごはんに向き合う方法、つまり、食べることに手引き書である。どちらも作法を説きつつ、その奥にあるものを語る。作ることと食べることに関する理論書である。
道元が『典座教典』を書いたのは彼の中国留学時代の体験による。
道元は、20代前半の学生時代を京都東山にある建仁寺で学び、1223年、24歳の時に中国(南宋)の江南(中国南部)に留学した。そこで、後に彼の思想の基本となる天台宗と曹洞宗の教義を学んだのだが、一方で、この留学は、禅寺における実践の重要性を学ぶものでもあった。
この実践の重視は仏教の中国かにおける一つのメルクマールである。インドで発達した仏教は、大乗仏教にいたって存在論に関わる巨大な思想を構築したが、それは高度に思弁的なものでもあった。禅宗とは、このインドで発達した高度な哲学体系を引き継ぎつつ、いったんはカッコに入れ、今ここにおける実践の意味を問おうとする動きである。不立文字と言うが、これは、文字と言う書かれたものに立脚するのではなく、実践の中から真理を見出そうという立場である。
実践とは、まさに、日々の暮らしの中に置ける行動。常住坐臥。その中には食を整えること、整えられた食を食することも含まれる。
10.
『典座教典』には、青年道元が、食を整えることの意味について学んだ瞬間のことが生き生きと描かれている。それは、ある老僧との出会いである。
山僧、天童に在りし時、本府の用典座、職に充てらる。予、斎罷わるに因り、東廊を過ぎて、超然齋赴けるの路次、典座、仏殿の前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携え、頭に片笠も無し。天日は熱く、地甎も熱す。汗を流し徘徊して、力を励まして苔を晒し、稍や苦辛するを見る。背骨は弓の如く、龐眉は鶴に似たり。 山僧、近前し、便ち典座の法寿を問う。座云く、「六十八歳なり」と。山僧云く、「如何んぞ行者・人工を使はざる」と。座云く、「他は是れ、吾にあらず」と。 山僧云く、「老人家、如法なり。天日且つ恁くのごとく熱し。如何が恁くの地にせん」と。座云く、「更に何れの時をか待たん」と。山僧更ち休す。廊を歩むの脚下、潛かに此の職の機要たることを覚ゆ。(道元『典座教典』より[6])
この文の大意は次のようなものである。
留学先の中国・天童山の寺院でこんなことがあった。ある日、用と言う名の老いた僧が典座の当番にあたった。道元が食後に東の廊下を歩いていると、そこで典座当番のその老僧が海藻を干していた。
太陽が照り付けているのに、その老僧は帽子もかぶらずに熱されたレンガ敷きの地面に汗だくになって干している。背骨は曲がり、眉も真っ白になった老いた僧である。
道元が「おいくつですか」と年齢を問うと、68才だという。海藻干しは老身には大変な仕事である。「どうして下役にさせないのですか」と彼がたずねると、老僧は「他人がしたことは私がしたことにならない」という。
道元は「確かにそうですね」とは言ったものの、真昼間の炎天下である。「どうしてこの暑い時間に・・」とふたたび言うと、老僧は「この時間以外にいつやるのだ」という。つまり、直射日光の照りつける最も暑い白昼が、海藻干しには最も適した時間なのである。これを聞いて、道元は一言もなかった。そして、典座という仕事の本質と、それが禅の道にどれほど大切かを悟った。
11.
「物色を調弁するには、凡眼を以て観ることなかれ」
「一微塵に入りて大法輪を転ぜよ」
道元は『典座教訓』の中でこう述べている[7]。
ものにはものの領域があり、そのものの領域のことをひとの領域の料簡で簡単に推し量ろうとしてはならない。ものの領域の原理は、微細な兆しとして人の領域にあらわれている。その微細な兆しの下には、この世の世界の原理という大法輪が隠されている。その大法輪に触れることが禅の究極の目的であるとするならば、ものの領域へのアクセスは慎重にしなくてはならない。実践とは、ものと人との接触領域である。
典座とは、つまり食を調することとは、その道の一つである。
12.
思考は理論としてだけ展開するのではない。思考は行為としても展開することもある。禅は、それを修行の中から説いたが、おなじような動きは西洋の哲学の中にも見られる。
アリストテレスがテオリア(理論)とプラクシス(実践)を区分して以来、この二つは異なった知の領域だと思われてきた。この区分によると、理論的知とは自然学(物理学)、数学、神学であり、実践的知は、倫理学、経済学、政治学である。このような学の区分は長く西洋の知の伝統であった[8]。
しかし、それが再考されている。理論と実践の区別の再考である。
これをドイツの哲学者・社会学者のユルゲン・ハーバーマスは「プラグマティズム的転回」と呼ぶ[9]。近代西洋においては、哲学は理論という理性の下で行われると思われていた。カントの超越的理性には、人間の身体は登場しない。しかし、それに対して、20世紀初頭に登場したプラグマティズムは、実践の立場における理性が存在することを明らかにした。実践にも理性は存在し、その実践的理性も真理に到達する方法の一つである。
ハーバーマスの主著の一つである『コミュニケーション行為の理論』とは、コミュニケーションという行為つまり実践によって人間社会がどのように理性的な状態に到達できるのかを理論的に探った書である[10]。
同じくドイツ出身の思想家ハンナ・アーレントに『人間の条件』という書があるが、この書のドイツ語原題は、『ヴィタ・アクティバ、あるいは日々の生』、つまり、日々の生という活動的生である[11]。
生や行為を通じて真理に至る。思考とは、理論だけではない。それは、実践としてあらわれ、思想の役割とはその実践の中にある思考をくみ取ることである。
13.
食とは人間にとって必須の行為であり、それゆえ動物的行為でもあるともいえる。行為が動物にも共通するものであるとしたならば、行為には意味はない。けれども、人はそこに意味を見出す。弁明とは、その意味を述べることであろう。
日々弁当を作ることは行為である。その行為には、意味はない。米をとぎ、野菜を切り、火にかけ、弁当箱の中に、盛り付けるだけだ。その行為の意味を考えてみたら上記のようなものになった。
これで、弁当のための弁明になっているだろうか。いや、弁当は食べるためにあるものだから、弁明は必要ないかもしれない。弁当を食べれば、後に残るのは、空になった弁当箱だけ。弁当に必要なのは、それだけで、もしかしたら、弁当には弁明はいらないのかもしれないが。
[1] Plato, “The defence of Socrates at his trial,” in Plato, Euthyphro, Apology, Crito, Phaedo, Phaedrus, trans. by Harold North Flower, Loeb Classics, Cambridge, MA: Harvard University Press, 1914.
[2] マルク・ブロック(村松剛訳)『新版 歴史のための弁明:歴史家の仕事』岩波書店、2004年(原著は1941年)
[3] 辰巳芳子『辰巳芳子の展開料理:基礎編』ソニーマガジンズ、2009年。
[4] 水上勉『土を喰ふ日々―わが精進十二ケ月』新潮社、1978年、水上勉『精進百撰』岩波現代文庫、2001年(原著は1997年)。
[5] 道元『典座教典、赴粥飯法』講談社学術文庫、1991年。
[6] 前掲『典座教典、赴粥飯法』69-70頁を参照しつつ読み下しを若干変更した。
[7] 前掲『典座教典、赴粥飯法』45頁。
[8] Friedrich Konstanz, „Philosophie, praktisch“, in Hrg. Jürgen Mittelstrasse,Enzyklöpedie Philosophie und Wissenschaftstheorie, Stuttgart: J.B. Metzler, 1995.
[9] Jürgen Harbermas, Nachmetaphysisches Denken: Philosophishe Aufsätze, Frankfurt a.M.: Surkamp Tashcenbuch, 1988=1992, S.61.ff.
[10] Jürgen Harbermas, Theorie des kommunicativen Handelns: Handungsrationalität und gesellschaftliche Rationalisierung, 2 Bde, Frankfurt a.M: Surkamp Tashcenbuch, 1981=1995.
[11] Arendt, Hanna, Vita activa oder Vom tätigen Leben, München: Piper Taschenbuch, 2007.